三輪美津子 《塩の家》1996 / 2022、塩、10.3 x 6.2 x 7.7 cm
三輪美津子 《塩の家》1996 / 2022、塩、10.3 x 6.2 x 7.7 cm

三輪 美津子
「Full House」

2022年11月1日(火)- 12月10日(土)
※予約不要
開廊時間:12:00 - 18:00
※日・月・祝日休廊
11/3(木・祝)、11/6(日)はArt Week Tokyo のためオープン

愛知県を拠点に活動する三輪美津子は、大胆な制作スタイルの変遷、および匿名性の高い表現によって、独自の立ち位置を築いてきた画家です。1996-1997年にフィリップ・モリス財団からの奨学金によりベルリンへ滞在し、1998年にはスウェーデンの芸術交流プログラムIASPIS(ストックホルム)のゲストアーティストに選出。近年の展覧会では、ニューデリーとムンバイを巡回したグループ展「消失点―日本の現代美術展」(2007年)への参加や、本年度開催された国際芸術祭「あいち2022」の出品作家としてクローズアップされるなど、精力的な活動を続けています。人物、家具から風景に至るまで、三輪の描くモチーフは多岐に渡り、それは画家の関心の対象が描かれる主題よりも、絵画という装置自体に向かっていることを示唆するかのようです。「フルハウス」と題された初の個展となる本展は、三輪が長年抱いて来た夢の家のイメージが、会場SCAI THE BATHHOUSEの空間と出会ったことによって生まれました。三輪の新作および旧作を含む一連の作品群が、展示室全体を舞台とする独自の絵画世界を構成しています。

本展の中核を成す家のドローイングが大きく壁面に描かれ、床には家の下部から伸びるように二種類の石(御影石と大理石)が格子柄に敷き詰められています。三輪の初の試みとなるこのサイトスペシフィックなインスタレーションは、片隅に施された小さな出口、あるいは入口の絵と共鳴しながら、本展の着想を鮮やかに描き出しています。絵画の突起物として現実空間に飛び出して来たかのような黒とベージュの石の床は、その上を鑑賞者が自由に歩くことも出来ます。
画面の三分の二以上を格子柄が埋め尽くす「Collections」(1990年)、および床石の色と模様をなぞるかのようなフォトコラージュ「セルフモンタージュ」(1992年)が、メイン作品の構図を強調しているようです。物語性を徹底的に排除した三輪の絵画が、その中に入り込むことが出来ず、むしろこちら側の現実にせり出してくるような印象を与えるとすれば、それは絵画と現実の境界線を意識し、見るという行為を徹底的に追求する画家の制作態度と矛盾するものではないでしょう。
「それがそれである以外のものを使わずに、それを消すことが出来ないか」という考えを、三輪は抱いているといいます。90年代より前、自身を画家として認識する以前の問題意識に端を発するこの命題は、本展の骨格を形成する作家のもうひとつの重要なアイディアです。ガラス瓶に瓶が描線された「Spirits」は、上述の可能性に言及する、1989年に制作された未発表の作品です。数点の楕円形のオブジェは、何も入っていない額を単独で、あるいは複数並べ、パースをつけて撮影した写真を掲示しています。鑑賞者の視点が額およびその内部を注視すればするほど、対象物が見失われ輪郭が曖昧になっていく、知覚のパラドックスがここには存在しているようです。ピントを無限大にぼかして撮った写真を元に描いた「風景としての風景画」(1994年)もまた、鑑賞者の視覚を攪乱するオプティカルな作用とともに、描かれた対象が浮揚しつつ視界に迫って来るような印象を与える作品です。
それでは、架空の出入り口と窓のある大きな壁面のドローイングに、我々は一体何を見ているのでしょうか。家の中を家で満たす-「フルハウス」という単語に込められた三輪の遊び心の解釈は、鑑賞者それぞれの理解にゆだねられています。

三輪の絵画は、見る者を「見る」という行為の中に誘い込み、洞察を促します。画家へと舵を切る以前に彼女が取り組んだ上述の問題意識は、これまでの三輪の歩みと相反するものではなく、むしろその実践を強調するように見える点で、本展はその画業の追求にさらなる進展を加えることになるでしょう。それ自体が三輪のひとつの絵画空間ともいえる本展「フルハウス」の構成は、これまでの画家の歩みを振り返るとともに、その絵画的実践を新たな領域へと推し進めています。