森万里子
「Central」

2020年9月11日(金)- 10月17日(土)
開廊時間:12:00 - 18:00
※日・月・祝日休廊

銀河系のかなたで起こる超新星爆発に呼応するインタラクティブ彫刻や、縄文時代のストーンサークルに着想を得たインスタレーションなど、 古代人の信仰から最新の素粒子データまでを参照し、私たちを取り巻く見えないエネルギーの存在に形を与えてきた森万里子。ロックダウンがもたらした生活の変化は、見えざるものへの感性をいっそう研ぎ澄まし、外界の暗闇のなかで「内なる光」を追求する機会となったといいます。パンデミック下に生まれた最新作を含む本展は、これまでに森が触れてきた哲学的、科学的、そして超越的なヴィジョンが、静かな瞑想を通して凝縮する光の中心として構想されています。

展示スペースの中心に輝く《Divine Stone VI》(2019年)は、巨大な鉱物のように切り立つ高さ約1.2メートルのアクリルの立体作品です。硬く透き通った表面には、作家自らが開発に関与したダイクロ・コーティングがほどこされ、分光特性により特定の波長の光を分離し、色彩のスペクトルを強調しています。日本古来のアニミズムに見られる磐座いわくら(神を降臨させる依り代として祭祀の中心となる岩)を巡るフィールドリサーチに基づき制作された本作は、差し込む光や見る角度によって変化し、あたかも透化した岩のように周囲の環境を浄化しながら、虹色を放つ光の存在を象徴しています。多様性を受け入れ、テクノスピリチュアルな感性を動かす色彩とフォルムの結合が、現代の神性を司る光のモニュメントとして現されています。

大きな円盤状のアルミニウムに額装された《Radiant Being》(2019年)は、淡いメタリックパステルなどで描かれたドローイングに三次元CGを施した平面作品シリーズ。プラズマの粒子が大気中の原子に衝突して発光するオーロラのように、薄紫や空色、ピンクの球形が輪や放射線状に結びつき、形而上的な示唆に富む幽玄なイメージ世界が広がっています。空間と光を操るミニマリストとして思い抱いた森の構想が、繊細なマテリアルと形象との取り組みを通じて、個人の瞑想から広大な宇宙の領域への広がる過程をとどめています。心中を映し出す鏡となるこれらのドローイングは、アーティストの親密で個人的な対話の記録であると同時に、誰の脳内にも描かれうる抽象的で普遍的なイメージであり、生まれる以前から私たちに引き継がれた心の原風景とも言えるでしょう。

会期中はさらに、本出展作品の出発点である作品《Dream Temple》(1997-1999年)のデジタルバージョンがオンラインで初公開され、鑑賞者のさらなる精神体験へと導いていきます。

宇宙の質量を担う成分のうち96%は、私たちの理解が及ばない目に見えないエネルギーによって作られていると言われています。天体と地球、東洋と西洋、過去と未来などさまざまな対立項を相互に参照することで、森の作品はこれらを調和させ、メディウムや研究領域の境界を超えた制作を行ってきました。本展では、これまでの試みを継承しつつ、万物に行き渡るエネルギーの中心が光として表されています。自然環境の危機と物質社会のほころびが深まる今、このときに提示されるのは、心の内奥に輝く光に導かれた再生の呼びかけなのです。


アーティストからの展覧会ステイトメント

Central―内なる太陽―

ここ数か月、コロナ禍の影響で長年の海外生活から一時帰国をし、東京で蟄居生活を強いられてきました。確かに感染症という見えざるウィルスの脅威によって、不安な日々もありましたが、ある精神現象へ導かれて創作するという稀有な体験ができました。外的世界から疎遠になることにより、多くの時間を内的世界の探求に費やすことになったのです。内なる太陽または内なる光を希求する新たな日常を手に入れました。内側へ向かって行けば行くほど、世界は広がり、外的宇宙よりもさらに深奥な宇宙空間がそこに存在しているように感じました。

本展“Central”は、平面、ドローイング、立体で構成されています。平面作品は、目に見えない、“内なる光”を描いた以前の《Dream Temple》(1999)の映像と連続している作品ともいえます。なぜなら、その制作のきっかけは、“内なる太陽”と初めて出会ったことだったからです。ドローイングはすべてこの数か月間に制作しました。

立体作品《Divine Stone》は、内なる宇宙の中心で輝く“内なる太陽”が次元を跳び超え、この世にその光を放っているイメージで制作しました。近年、日本全国にある数多くの磐座いわくらを訪れましたが、そのフィールドワークからインスピレーションを得ています。磐座は、古墳時代から祭祀儀礼を執り行う自然石であり、神霊を招き祀るための神の座であり、古代人はこれを深く信仰していました。古事記では、最初に発現した神の名は天之柱中主神と記されています。この神は宇宙の根源もしくは宇宙そのものですが、その姿を見せず、目に見えない所から統合者としてあらゆるところに偏在していた、と伝えられています。制作の構想中、神々が降臨する磐座のようなイメージで、作品の中に“内なる太陽”の輝きを視覚化することはできないかと考えました。この発想から、《Divine Stone》は“内なる光”の多彩な色を放ち、その光の中心性を暗示する作品となりました。

ある日ふと、ドイツの美学者ハンス・ゼーデルマイヤの『光の死』(原書は1964年出版)が目に留まりました。彼は、オーストリアの詩人・画家アーダルベルト・シュティフターが記した皆既日食に関する随想に触発され、こう述べていました。「精神の中心にある光が暗黒化することは、外界の光の暗黒化と同様な現象を必然的に引き起こす。しかし芸術もまた、内なる必然性によって自然自身と同様な方法で、この精神的な事象を明示する。」この一文に触れたとき、喪失した光を新たに蘇らせる作品ができないか、と考えました。

光は決して死なない
永遠に死することはない。
目には見えない偉大な“内なる光”は
存在するすべての世界の隅々まで届いている。

つまり可視化できない、その眩しい光の根源こそが、命を宿し、存在するすべてを包み込んでいるのでしょうたとえ外界の光から遮断されたとしても、この世に存在する、溢れみなぎるエネルギーの集合体に連なることができるなら、輝く精神の光に満たされるのではないでしょうか。

森 万里子
2020年8月

謝辞:本展の準備段階で、国学院大学教授内川隆志氏から古墳時代の祭祀について、ご指導をいただきました。深く感謝申しあげます。