Alfredo Jaar, "Lament of the images" 2002Two aluminum tables, glass, perspex, LED lights and motor420 × 244 ×122 cm
Alfredo Jaar, "Lament of the images"
2002
Two aluminum tables, glass, perspex, LED lights and motor
420 × 244 ×122 cm

アルフレッド・ジャー
「Lament of the Images」

2019年10月4日(金)- 11月2日(土)
開廊時間:12:00 - 18:00 ※日・月・祝日休廊

アルフレッド・ジャー(1956年、チリ・サンティアゴ)は、彫刻・建築・映画などさまざまなメディア領域にわたり、ミニマリズムの厳格な語彙を用いて文化や政治の危機的状況を表現するアーティスト。世界各地の人権侵害や社会的不公正に関する綿密なリサーチによって、メディアに歪められた情報を見つめ直し、人道的な洞察を通じて状況の真相に光を当てます。このようなジャーの妥協のない取り組みは、本展において、現代におけるメディア文化への批判となって表れています。

ナイジェリアの詩人ベン・オクリからの一節、「Lament of the Images(イメージの嘆き)」と題された本展では、2002年に制作された同名のインスタレーション作品に新たな解釈が与えられます。写真フィルムを確認するための照明装置であるアルミニウム製のライトテーブル——。一台は床に置かれ、もう一台はそれを正確にミラーリングするように天井から逆さまに吊り下げられています。モーターの動きに合わせてライトテーブルが引き下げられると、まばゆい閃光が二台のテーブルの隙間に圧縮され、やがてテーブル面が完全に密着し周囲は闇に包まれます。写真や動画の過剰な氾濫にさらされた現代社会の盲目性を表す比喩的なジェスチャーと言えるでしょう。

現代社会におけるイメージの機能不全——。ジャーの嘆きは、テキストによって表される作品《You Do Not Take a Photograph, You Make It. (写真は撮るものではなく、創造するものだ)》(2013年)にも反映しています。デジタル写真の操作が手軽になった今日、アメリカ人写真家アンセル・アダムス(1902年-1984年)の引用は新たな意味を帯び、「イメージの生産者として、そして消費者としての私たち自身の責任」を問いかけます。山積みのポスターを鑑賞者が一枚ずつ手に取り、そこに刻まれた言葉の意味を展示空間
の外に持ち出すことで、彫刻としての作品自体のイメージも徐々に失われていきます。ネオンチューブで記されたもうひとつの詩的な声明、《Be Afraid of the Enormity of the Possible(可能性がもつ非道さを恐れよ)》(2015年)は、エミール・シオラン(1911年-1995年)による詩の一節であり、本展を貫くジャーの情熱的な悲観主義をさらに強調しています。

ソーシャルメディアにおけるデジタル写真の氾濫と、報道メディアにおける情報のコントロール——。フェイクニュースが蔓延し、嘘から真実を、フィクションから事実を導き出すことは一層困難となり、社会におけるイメージの危機が顕在化していきます。現代の視覚文化における盲目性を語る本展は、光と文字とで構成されています。そこには一枚の写真もありません。