石川直樹「POLAR」
石川直樹は自らが旅する「ここではないどこか」を主題に写真作品を制作するアーティストです。
2001年に七大陸の世界最高峰登頂の世界最年少記録を塗り替えた偉業などから、若き冒険家として語られることの方が多かった石川は、十代の後半から30才となった現在まで世界の辺境を旅し続けてきました。その活動はアラスカ・ユーコン川の単独カヌー下りやミクロネシアで学んだ星の航海術、さらには北磁極から南極点までを9ヶ月をかけて踏破するプロジェクト「Pole to Pole」への参加など、日常の旅の枠を大きく超えた特別な経験の連続でした。おそらく当初は自らの精神と肉体の限界に挑戦し、大自然と向き合い、未知の地平へ到達することに終始してきただろう石川の興味は、その後文化人類学的な興味へと発展していきます。一方、それぞれの冒険の途の記録としてごく自然にカメラを手にとった石川の視線は、未知の光景に出会うたびに単なる旅の記録としての写真ではなく、自らのフィルターをとおした表現の域へと進化を遂げていったのです。
石川直樹が自らの写真作品を本格的に世に問うきっかけとなったのが2005年に出版された写真集「THE VOID」(ニーハイメディアジャパン刊)です。この写真集ではニュージーランドの原生林が主題としてとりあげられ、深淵な森の空気と雄大なランドスケープを捉える石川のカメラはそれらに緊張感をともなった普遍性をもたらし、迫力あるコンテンポラリーアートの作品として成立させることに成功しています。旅すること、自らの肉体を追い込みながら経験する光景が単なる私的な記録という重力から解放され、凛と立ち上がる瞬間です。石川はさらなる集大成としてこの秋、先史時代の壁画をめぐる旅を作品化した写真集「NEW DIMENSION」(赤々舎刊)を発表しました。文化人類学的な観点でも大変興味深い数々の写真をまとめたこの作品集の中でも石川の視線は対象とつねに一定の距離をとりながら壮大なテーマを自らの文脈で語ることに成功しています。
コンテンポラリーアートの手法としてはあまりにストレートな語り口でありながら、作品群のもつ圧倒的な存在感と密度に目を見張らずにはいられません。
一方、本展「POLAR」はタイトルどおり北極圏の写真で構成される展覧会となります。
2000年に「Pole to Pole」プロジェクトで訪れて以来、何度も足を運んだ北極圏の大自然、荒涼とした風景や、小さな村での人と動物の暮らしなどが作品となって展示されます。北極圏という言葉から浮かぶ一般的なイメージは巨大な氷山や人知の及ばない永久凍土ですが、実際には北緯66.6度以北の広大な地域を意味し、その地域にはアメリカ大陸最北部、スカンジナビア半島、シベリアなどの北部、あるいはグリーンランドのような島々も含まれています。当然そこには生活圏もあり、産業や独自の文化が存在しています。石川は何度か北極圏の異なる地域を訪れ、滞在し、いまだ謎の多いこの地域の風景を写真にしてきました。そこには人を寄せ付けない圧倒的な氷の山脈もあり、最果ての港に営まれる生活もあり、犬ぞりの犬たちと暮らす人々の姿があります。
「NEW DIMENSION」とも共通しますが、おそらく石川のまなざしは、地球というほぼ辺境のかたまりのような星のあちこちで何世紀にも渡って営まれてきたささやかな暮らしや、毎日の糧を求める厳しい暮らしの中での祈りのようなもの、大自然に向き合った時にのみ感じる畏怖の念と人間の圧倒的な無力さや宿命的な孤独感に向けられているのではないかと感じます。作品には確かな「生」の感覚が静かなアプローチで表現されており、それは作家自身が自らの足でたどりつき、肌で感じ獲得した、痛いまでに凝縮された感覚なのではないでしょうか。
辺境に足を向けることなく一生を終えるだろう私達にもその片鱗を感じさせてくれる作品がここにあります。