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2020.5.8

李禹煥よりメッセージ

李禹煥氏より昨今の情勢について寄稿を頂きました。
是非ご一読頂ければ幸いです。


新型コロナウイルスのメッセージ

 人類史はその大半が戦争の歴史であるが、また疫病との闘いを抜きにしては語れない。近来は、様々な新型ウイルスが流行り出し、人類はこの目に見えない敵との闘いに明け暮れている。生物学者らの、ウイルスについての所見を読むと、それは謎めくような不思議な存在に思える。ウイルスは肉眼では見えない極小の粒子で、生物とも無生物ともつき難いが、元を質せば「高等生物の遺伝子の一部」で、それが外に飛び出し、いつも動物や人間の周りをうろついているものという。しかも人類が維持され進化する上では、死に及ぶ危険性と共に、生命の促進をもたらす両面的な存在らしい。従って、生命の不可避的な要素である故、それを根絶したり撲滅したりすることなど出来ない。そもそもこの世に永久の味方、変わらぬ敵など存在しない。今日の友は明日の敵、また友にもなる。ウイルスはまさに、存在の両面性の象徴である。脅かされ退治したり、刺激を受け強化しながら、共に生きる定めが自然の理法のようだ。

 おそらくウイルスにもいろいろな種類があろう。それらと時には闘い、時には受け容れながら生きるには、一層の生命力の発揮、つまり体力知力精神力が必要のようだが、他にも考えさせられることが多い。疫病神という言葉があるように、徹底的に立ち向かうほどに、お互いが強くなってゆき、時と場合によってその様子が変わる仕組みは、いかにも弁証法的で示唆に富む。つまり生きるとは、絶えず外部や他者を伴うと同時に、時や場に応じて対応が進むということだ。慣れ親しんだ環境の異変や、敵にも力にもなる親戚を隣に持つ関係性の危うさを思う。当然ながら、人間は生きた生物界の中にいる。周知のように、人間オンリーに組み立てた近代の文明は崩壊に直面した。環境やオゾン層の破壊、食料や資源の枯渇、公害や放射線の拡散など、専門学者らの提示するデータや現象の指摘では、このまま行けば文明はあと半世紀持たない。だから近代芸術同様、近代医学もまた解体される他ない。そこでは疫病神の役割など論外だった。ここへきてようやく人間中心主義から、生態系と環境の相互性の中で、生命を見つめ直すのが筋道となりつつある。まさにウイルスの存在が教えるのも、地球環境の共時性であり、生命の連帯性であり、生物無生物の相互媒介性である。

 今、新型コロナウイルスのパンデミックで、人類はパニックに陥っている。連日、感染や死亡がネットや新聞テレビに大きく報道され、世界中でその感染力とスピード、重症化と致死率は人々を恐怖におののかせる。多くの国は国境を閉鎖し、集会外出の制限と自主規制で、街は静まりかえった。人々は家に病院に国に閉じ込められ、しかも人との間の距離を保つべく、みな孤立孤独を強いられる。握手もキスも、お喋りも控えて、極力行動を限定された、珍妙な存在になった。あれほど急ぎ足で駆け巡り、やたら働きまくり、喚き合い抱き合い、群れを成して騒ぎ立てていた威勢は何処へ行ったのか。幻ではなかったにせよ、今は何処にもそれがない。かつての勇ましさ熱気の異常さを思い返し、人間の情けないほどの脆弱さに気づくと、妙な無常感がわいてくる。

 何れにせよ、新型コロナウイルスの猛威は、いつまで続くか見当もつかないが、この度の経験は、人類の意識に大きな転回をもたらすに違いない。期せずして一斉に立ち留められた人々の様子は、一様に不満に満ち、戸惑いや不安に映る。私自身、すべてのスケジュールが止められ、何に手をつけて良いか思い浮かばす、アレに感染したのではと、気が塞ぐ。そして次第に状況に慣れると、知らず知らずに内へ内へ自己を閉じて行く。異常事態が続くなかで、人々は自らを固め、同時に国は不気味に統制力を作動しはじめた。国家は非常時に及ぶと国民の生命を守る責務がある。今がその時とばかりに災厄を盾に権力とテクノロジーで国民の行動を規制し監視に乗り出した。国によっては、すでに携帯電話や監視カメラその他で、個人の情報はもとより身体や脳の中までコントロールしかけている。一方では自閉、他方では統制がせめぎ合う社会を迎えた。しかし以前とは違って、インターネットや携帯電話の発達により、内と外が繋がり、孤立と連帯が共時化した。留意すべきは、国家の統制力が、個人の自制を覆う抑圧の仕組みが出来上がったことである。

 それにしてもこの閉塞状態はどのように続くのか。学校は、美術館は、カフェはいつ開くことになるのか。店も工場も会社も国家も、否、個々人の心の中は、この先どうなるのか。パリでは一人の男が大通りに飛び出し、叫びまくり警察に捕まったと聞く。忍耐と孤独の強度が試されはじめた。新型コロナウイルスの威力がこのまま続けば、何千万の人が重症で苦しめられ、何百万の死者が出るとやら。ドイツのメルケル首相のスピーチでは、人口の70~80%の感染が予想されるという。そのうち酷いデマや怪しげなオカルトや怖ろしい全体主義の嵐が吹かないとも限らない。いかにも人類は、前代未聞の試練に晒されている。

 以上のような状況は、まさに人類の危機を思わせて余りある。時間が経っても先が見えないだけ、状況の異常さはいつの間にか日常化し、精神も感覚も麻痺する。そこで人間力の回復が望まれよう。ところで視点をズラすと別な見え方があらわれるのだ。果たして焦点を人間に合わせるべきか。人間の文明によって生態系は破壊され、地球はひどく荒廃したことは弁明の余地がない。温暖化の異変や放射線の拡散のみならず、新型コロナウイルスの発生でさえ、文明の在りように依る、起こるべくして起こった出来事と指摘される。新型コロナウイルスの来襲は、文明の猛進化肥大化への警鐘のようだ。またそれは地球上の無差別な開発や過剰な人口の増殖とその長命化へのブレーキにも取れる。人類には受け入れ難くとも、生態系からすれば、自整力の働きとしての自然の摂理になるのだろうか。現に人間が静かになると、あっという間に世界が違って見えてくるのではないか。

 新型コロナウイルスのパンデミックで、わずか一ヶ月余りの人類の自粛により、環境は一変した。宇宙船のカメラに映った地球の空気は実に透明になり、オゾン層の破壊も止まった状態に近い。ヴェニスのあの汚染の象徴だった海が、魚が泳ぎ、それがきれいに見える。インドでは長い間スモッグに覆われていた遠くのエベレスト山が悠然と姿をあらわす。何処の街にも爽やかな空気が流れ、景色が鮮やかである。文明がいかにオゾン層の穴を広げ、大気や山河や街を汚し、地球を壊してきたかが一目瞭然だろう。自然には回復力がまだあったのだとほっとする。そして私は自然の力、その自生力の素晴らしさに改めて感動を覚える。と同時に自然を傷つけ、地球を破滅に陥るほどの文明の力にも驚かされる。もはやその命運が尽きつつあるとはいえ、自然をぶち壊すほどになった強烈な文明の暴走が怖ろしい限りだ。

 新型コロナウイルスの猛威で顕になったのは自然と文明の相克の相だけではない・善かれ悪しかれ、政治や経済文化がグローバリズムで広がっていたはずが、突然に冷え込んだ。国は自国中心の国家主義に、そして人々は無分別の自己中心の啀み合いや反目でヒステリック社会になりつつある。近代以後世界はグローバルに開かれ、ようやく外部や他者を知り合い、認め合えるかの矢先に異変が起こったのだ。グローバリズムの交流がズタズタにされ、世界は混乱の波に揺れる。国際社会の連動性は無視され、国や個人の無謀な主張と勝手な振舞いで、次第に閉塞感と無秩序の空気が絡み合う。新聞テレビその他のメディアは、出来事の報道を、概して内向きに色分けする。インターネットや携帯電話などによる内外の情報の交換は、理解と連帯感を強めるが、時には虚偽と歪曲の応酬で不信憎悪を助長する。この事態は明らかに分裂の相であるが、災厄を契機に顕著にあらわれた傾向だ。言うなれば、もともとグローバリズムは、さまざまな地域や国家が結び合う連係ではなかった。グローバリズムと国家中心主義そして自己過剰の狭間で見られる分裂現象は、ある意味で当然な出来事とも言える。つまり一気に世界を覆ったグローバリズムの正体は、統制されたイデオロギーの拡散、外部のない文明の巨大な内面の広がりに過ぎなかったことが浮き彫りにされた。

 時代が激しく揺れだし、状況に亀裂が入れば、人間の内部にも分裂が生じる。そもそも近代的人間はある意味で初めから分裂の上に立てられた存在だ。自然との差別化によって作られた文明の在りようが、人間の命運を物語る。文明の崩壊が迫る今、人間は、新型コロナウイルスの災厄を通して人類の立ち位置を再確認出来たようだ。自然と人類の関係の根源性が改めて明瞭化された感じである。もとより人間は、自然との関係ではなく、自明なことだが自然の一部なのだ。もちろん人類は、長い間自然を捉え直す発展過程を経ながら今日に至った。自然から人類は特化の道を歩んだことになる。ここに人類の栄光と悲劇が潜んでいよう。人類はいよいよ黄昏に差し掛かり、否応なく帰るところの自然と向き合うことになった。まるで放蕩息子の帰還を思わせはしないか。

 ところで人間に求められているのは、自然への帰依でも文明人の開き直りでもなく、両方に跨った存在の両義的な自覚なのだろう。新型コロナウイルスで人間は、外部から脅かされ、内向きに縮込んだ。だがその間に文明に傷つき荒廃された自然は、一気に癒されみるみる蘇っている。自然に修復力があったということは、元来その一部である人類にもそれが備わっていよう。自然の生き生きする光景で、喜びが湧くのは、それが己の源だからだ。人類のダイナミズムは、人間力にあるのではない、自然が作用する野生力がもたらす。従って人間は存在の根源との対話で、文明の修正を成すことが出来る。人間の一時の自制が示唆するように、文明はある程度コントロールが可能なのだ。無制限な欲望や過剰な競争を調整し、人間と自然の緩やかなコラボレーションが望ましい。人間にその気になれるかどうかが試されている。ともあれ、新型コロナウイルスは人類に大変な苦しみと多くの犠牲をもたらしたが、他方では自然の蘇生を促し、人間の両義性に気づかせた意義は大きい。

 私は今家に閉じ籠り、考え事に耽ったり、外を眺めている。新型コロナウイルスを憎みながらも、それがもたらしたメッセージを噛みしめる。新型コロナウイルスは、訳の解らなさで怖れや戸惑いと共に、世界を新たに見えるようにする点で、芸術的だ。そして正体の掴み難い生と死の生命の根源を見つめさせる点で、いかにも生物学的哲学的である。誰に感染されたか、誰に感染させるかも解らないものに、振り回されること自体いかにも黙示録的だ。人間の営みがAI的な予定調和と違って、いかに不確定な未知と関わるものかを思い知る。これは人間の世界が、自己の想像力だけで打ち立てられるものではなく、絶えず外部との対応で成り立つことへの暗示でもある。存在しているのに定め難く、動いているのに見えないのは新型コロナウイルスに限ったことではない。文明の見えるもの確定されたものの固定的な明証性が問われているのだ。

 人々が自粛する間、空気が浄化され、自然が生気を取り戻しているのに、人間は暗く脅えている。家に街に国に世界に死が漂うからだ。ウイルスは見えないが、死も見えない。ウイルスに感染すれば死ぬという強迫観念はもっと見えない。しかし現代では、見えなく正体が掴めないが確かに現象しているものにたじろぐことなどあまり無かったはずだ。コンピューターに入力されているような明々白々なことのみが現実で、疑わしく不確実なものは無きものにされていた。それだけ現代の生は、確実性に裏打ちされたものでなくてはならなかった。現代人に死が苦手なのは、それが解らぬものであり、生の断絶概念として働くからだ。かつて解らぬ死は生とペアであり、生きるとは死を伴う道程であることを了解していた。死は生の連続性の中にあって、絶えず生を新たにし促進する作用を担う。その意味で死は、不安を伴っても恐怖の対象とは違うものだった。現代では、生の全一化延長化のための医学を発達させ、死を生の否定断絶概念に追いやっている。過剰な生の明瞭化そして増殖と拡大欲が、人工的な生の空間を作り上げ、人間の自然性を切り捨てているのだ。これが自らを閉じ、外部を恐れる存在になった経緯である。人間が生命の野性性を失い、AI的怪物に化けた所以もそこにあろう。新型コロナウイルスとの闘いが、人間の外部性の回復と共に、不透明な死を見つめ直す機会であればと思う。

 新型コロナウイルスの災禍は、期せずして人間を新たな地平に立たせた。今世界は、グローバリズムの画一性や自国中心主義、個人の放任主義の無謀さ危険性を露呈している。それらの元を質せば、外部を認めず、閉じた内部の構築と拡大への近代的な意志に突き当たる。新型コロナウイルスの広がりはそれらの立場と進行にストップをかけた。新型コロナウイルスの脅しは、実に文明を討つ人類への呼びかけでもあるということだ。従って、人類における外からやってきたウイルスとの闘いは、一方で内なる「人間」を止揚する闘いでもあるほかない。反省的にみれば、人類は新型コロナウイルスによって文明の再考のチャンスを与えられたのだ。

 新型コロナウイルスのパンデミックで、人間の触れ合いや労働や移動が制限を受けるなかで、オンラインはじめAIやロボットの活躍が飛躍的に注目されるようになった。それで気になるのは、映像による距離と効率性とスピードを重視するあまり、人間嫌に陥り、身体性の否定を招かぬかどうか、また労働力がすべて人間を離れたものにならぬかどうかだ。身体の能力は、人間の自然性のバロメーターである。コンピューターの力の過信により、人間の労働力を上回る欲望の無制限な生産を目指す破滅的な愚考が行われぬことを祈るばかりだ。滅亡を避け、生き延びるために、反省力と自制心を磨こうではないか。真の自制心とは自らの声を聞くことである。つまり法律や権力や自意識ではなく、己れの根源である自然の理法、身体感覚による宇宙のメカニズムに添うことである。言い直せば個人の意志や国家の統制を越えて、人類と自然の対話の上に、生きた世界の関係性に目覚めることである。新型コロナウイルスの出現とそれとの闘いで、経験した恐怖と希望のメッセージを、はたして人類は心して受け止められるかどうか。

                                          2020年4月22日
                                          李禹煥

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